Thursday, 2 January 2014

After the typhoon

This is a copy of my journal for ten days after the typhoon.  Although it was written in Japanese, I made some notes in English especially for the photos. I still have no internet access in my town. I am at an internet café in Catbalogan.

11月7日 木曜日
台風の為遠くに住んでいる人は帰り始めている。私の事はMarilenがお祈りしてくれるそうな。ありがたい事です。台風の為毎日雨ばかり降っている。只、台風の情報がテレビしかなく、どこへ上陸するのかよく分からない。朝、マニラにいる所長からテキストメッセージが届く。台風が来るのでパラナスかタクロバンに避難する様にとの事である。パラナスもタクロバンも別に行く所が無いし、ここの方がどう見ても安全である。一応回りの地形とか倒れる木があるかとかチェックして安全を確認できたし、此処は水も食料もあるし問題ない。
一昨日の夜、例の小さなメガネザルを密猟してマニラに運び出そうとした所を捕まって、サルたち8匹が此処に連れて来られた。台風が来るというのに、今、サルを放す檻を山の方に作っている。小さな箱に入れられているので、それまでサルが持つかどうか?
今、此処でマッサージ師のトレーニングをしている。その為食事が一品増えるので少し良くなる。それでも、ご飯に瓜の炒め物少しと10cm位のアジ一匹と豚肉のスープがカップ一杯。朝飯は塩漬けのゆで卵と10cmの魚の開き。これもしょっぱい。あとはナスの炒め物が出た。なんかこんな食生活してたら内臓がダメになりそう。ベルトの穴が一つ以上減ったから痩せてるんだと思う。体重計が無いからなぁ。夕食は魚のスープにカリカリの小さな豚肉ひとかけ。インスタントラーメンが凄く高級に思える。
仕事は出来る事からやっている。来年度用の予算の資料もそろったし、する事がだんだん無くなって来ている。明日は台風なのでどうせ仕事にならないからいいか。台風はこの辺を直撃するらしい。風速215kmで5段階の4だそうです。この建物は大丈夫だろうけど、近くの部落は家ごと飛ばされるんじゃないだろうか?竹の家でやしの葉の屋根だけだから。上陸は明日の朝8時ごろだそうなので、お昼には通り過ぎてるだろうから見に行ってみよう。最大風速215kmは風速60m。とんでもない風が吹くのでしょう。明日は早起きして様子を見ます。
夜になって停電。携帯も繋がらなくなる。
11月8日 金曜日
朝8時頃、風が結構強かったけど、風速30~40mくらいでしょう。時々突風が吹くくらいで、大した事ない。携帯のシグナルは途切れたままだし、停電の為テレビが見れないので外の世界とのコミュニケーションはZERO。台風の情報がまったく入らない。午後には風も弱まってきて、8時ごろ上陸と言っていたのだから、もう通り過ぎたのであろう。木が何本も倒れたり折れたりしたが、此処は大した被害ではない。雨の合間を縫って写真を撮る。
I was in the Samar Island Natural Park Headquarters’ staff residence during and after the typhoon. I was told by my supervisor to move to Tacloban or Paranas because of the typhoon, but I decided to stay at the park. I made a good decision. Typhoon hit the Islands of Samar and Leyte as you know. The typhoon was off and the park’s office was not too bad. The wind was so strong that caused some falling trees and broken branches around the building.





台風など、皆余り気にかけていない。雨が止むとバスケットをやり出すくらい。
夜になっても停電で真っ暗。ろうそくも何本しかない。超大型台風が来るのが分かっていたのに、誰も準備をして最悪の事態に備えようなんて考えてもいない。特に役所の人間は目上の人の命令・許可がないと何もしないし出来ない。発電機は有るのかと聞くと、  有るけど壊れてて使えないと言う。緊急の時に使えるようにしておかなければ意味が無いのに。食事はプロパンなので材料さえあれば問題ない。
夜はロウソクのを点けて皆でギターを弾きながら歌っている。なんか昔のキャンプ場を思い出してしんみりする。
こんな蛾が台風の晩入ってきた。大きな蛾で壁に卵を産み付けている。
マッサージのトレーニングは台風なのに続けている。まあ、他にやること無いのだけれど。おかげで毎日にぎやか。

11月9日 土曜日
皆倒れた木の始末をしている。公園事務所なのに小さなのこぎり一本とナタのような大きなナイフしかない。たいしたもんだ。危ないので私は写真を撮ったりしただけ。停電はまだ続いている。
タクロバンから来るバスの人達によると凄い事になっていると言う。津波だとか。多分高潮の被害なのであろう。
役所の仕事をしているおばさん(アイリス)が、管理人(ラッフィ)をオートバイでタクロバンに行かせ様子を見てくるように言いつける。
夜はそのオバサンの誕生日だとかで、例の電気ブランのお酒を3本皆に買ってやる。P300でおつりが来る。一本$2.50。安いものだ。
皆で歌を歌いながら飲む。
タクロバンに行った管理人が戻ってきた。話をしているが言葉が分からないし、誰も通訳してくれない。皆の顔色から良くない事は分かる。酔っ払っていたのでどうでも良かった。その夜は酔いつぶれて寝る。
そう言えば、メガネザルは元気なのかと聞くと、元気なのは一匹で、あとは弱っているか死んだそうだ。そのうち全部死ぬのであろう、可愛そうに。そうせ死ぬのだから、山に放せといったのに、上の人に言われてないから出来ないと言う。皆、馬鹿じゃないの。
考えてみると、ここに今いる連中は英語が全くといっていいほど話せない。アイリスがかろうじて少し話せるが余り話をしてくれない。管理人のおっさんなど、何を聞いても「イエス」しか言わない。全然話が通じていない。

11月10日 日曜日
車で6人ほどタクロバンに行く事になった。自分の家や親戚、同僚の事が心配なのであろう。今日中か明日の朝には戻ると言う。タクロバンはすごい事になっていると言う。
夜、食事をしていると、ホタルの多いのに気が付く。台風の後一斉に羽化したのかもしれない。どういう訳か一本の木に集まっている。ホタルをゆっくり眺めたのは中学以来かも。写真を撮ったが写っているかどうか。

11月11日 月曜日
予定では今日パラナスに引っ越すはず。案の定、車は戻ってこない。荷物を運べないので、引越しは延期。
もう仕事はどうなっているのか分からない。携帯もバッテリーが無く、コンピューターも使えないし、何も出来ない。もう、成るようにしか成らない。
夜は、又、ホタルが沢山飛んでいて、今度は近くの木に集まっていた。しばらくホタルを眺めてから寝る。多分、八時ごろだと思う。

11月12日 火曜日
どうやら携帯が繋がったらしい。私のはバッテリーが無いので使えない。
朝食後、発電機を見せてもらう。なんと!新品のホンダの発電機が出てきた。一度も使った事がない。UNDPのシールが貼ってある。動かしてみようと言うと、ガソリンがないと言う。「動かない車があるのだから抜けば良いだろう」と言うと、上の者に聞かないと出来ないと言う。上の者は今マニラだよ!何たる事か、Emergency ではないのか?
管理人がカトバローガンに行くと言うので、携帯をチャージしてもらう。携帯が繋がったのでテキストを送ったけど、届いているのだろうか。
いつの間にかホタルが少なくなった。

11月13日 水曜日
夜九時には寝てるから、九時間寝た事になる。暗いうちは寝て、明るくなったら起きる。鶏の鳴き声がうるさいのも起きる理由。ニワトリは間違いなくコケコッコウと鳴く。電気がないと暗くなってすることが無い。若い連中はランプの下でトランプをやってるけど、あたしゃ、七時には暗いベッドに横になっている。
今朝はゴロゴロしていても仕方が無いので、オフィスでレポートを読み直す事にする。
やっと発電機を使う気になったようだ。フォーレスターの人が来て使うように言った様だ。もう停電になって六日もたっている。自分で判断して動けない人ばかり。タクロバンで誰も避難しなかったのは、多分消防も、警察も上から命令されないと避難の誘導などしないのであろう。タクロバンで高潮警報が出された時はもう停電してたので誰も知らなかったと言う話。でも、前の日にテレビで警戒するように言っていた。けど消防も警察も非難させなかった。後で聞いた話だが超大型台風が上陸するのに市の警察の十分の一の職員しか仕事をしていなかったそうだ。普通なら全員出てて当たり前。目茶苦茶な話だ。マニラによると台風などは市の仕事なので市から何か言ってくるのを待っていたそうな。台風の後は市なんてなくなってしまっているのに。死者15,000人(実際は5千人らしい)とか。南無阿弥陀仏。
昼ごろVSOから電話があり、すぐカナダに電話するように言われる。携帯が良く繋がらないけど智春と家に電話する。皆、心配していたようだ。テレビでタクロバンの様子を流してるので、あたしより被害の状況が分かったようだ。テキストも繋がった。但し、テキストも結構かかる。おかげで携帯に5ペソしか残っていないのでカナダにテキストを送れない。
発電機を動かすらしいが電気屋が来ないとダメらしい。それにガソリンは手に入ったのだろうか。何事もフィリピン時間だから期待しないようにしよう。発電機は2年前にUNDPからもらったらしい。
所長がが帰ってきた。発電機を動かせるようにする事と、ガソリンは動かない車から抜くように、だって。なぜ、言われないと動かない人達なのか?Emergencyだよ、今は。
あれだけいたホタルがほとんどいなくなった。一時の夢。
11月14日 木曜日
所長ともう一人がバイクでタクロバンに向かう。どうなっている事やら。金曜には帰ると言っていた。
今日中に発電機が動けばコンピューターが使える。コンピューターが使えないと仕事にならない。ついこの前までは紙とペンだったのに。便利になったのだろうか?電気が切れてから一週間。この島全域が停電なのだから凄い。カナダや日本では考えられない事だ。普通はグリッドシステムだから、一つ発電所が止まっても他から電気が送られて来る様になっているのだが。ココはタクロバンがある島で発電してマニラまで送っているらしい。タクロバンで切断しているので送られて来ない様だ。タクロバンは戒厳令が出されたようだ。余程行き詰っているのか。銀行も動いてないので皆現金を引き出せない。お金がなければ何も買えない。盗むしかないのか。国は何をしているのだろう?タクロバンは水も食料も無くなって来ているはず。世界中から物資が届いているのだろうに、配給する仕組みが無いのであろう。アメリカが先に立ってやったほうが良い。他の町からトラックでタクロバンに行き物を盗んでくる人もいるそうだ。この辺の町も物が少なくなってきて、ガソリンはもうどこにも売ってない。そのくせドラム缶をトラックに載せて1リッター100ペソで売っている者がいる。倍の値段だ。ガソリンはマニラのほうから来るのでその内手に入るようになるだろう。魚は海で取れるし食料が無くなることは無いと思うけど、電気が元に戻ってから越す事にした。此処に居れば食事や水の心配が無い。すべてタイミングが悪すぎる。まあ、此処の生活にも慣れてきたし、悪くないかも。
車でタクロバンに行った連中の一人が帰ってきた。車はガソリンが無いので動かないそうな。行く前から分かっていただろうに。無計画な行動の為6人ほどタクロバンから動けない。その内水や食料が無くなって来るだろう。ミイラ取りがミイラだよまったく。フィリピン人は考えないで行動するタイプのようだ。
タクロバンに行った車がやっと戻ってきた。やはり凄い事になっているらしい。死臭がひどい場所もあちこちに有るようだし、食料や水も5日間居て一度しか配給が無かったようだ。此処のオフィスの人の半分はタクロバン近辺から来ているので、当分仕事にならない。何かこのままここに居ても仕方が無いような気がしてきた。電気が通じて物資が届くようになれば仕事も元に戻るかも。気長にやればいい。
発電機が動いて、昼間と夜一時間ずつ電気が使えた。コンピューターと電話をチャージして少し使えた。ガソリンが無いのでこれ以上は無理。タクロバンから帰ってきた人の写真を見せてもらう。津波の後の様だ。家が並んでいた所は広い空き地のようになっていて、道端には死体が置いてある。死臭がひどく吐き気を催すそうだ。車の窓を開けると臭くて居られないので、写真を撮るのも大変だったらしい。タクロバンに行く時いつも泊まる役所の寮の一階は水が天井まで来たらしい。タクロバンに避難しろとメールが来てたけど行かなくて良かった。まあ、常識的に考えればここの方が安全なのが分かるようなものだが。まあ役所とはそんなもんだ。BBQチキンを食べたとこも無くなったらしい。町がある半島の上を海が覆ったらしい。役所があった場所は結構高いと思ったけど、余程水位が上がったのであろう。住民は避難する高台など周りに無かったのだと思う。物資は困っている人達に届いているのだろうか?
そういえば、今日は誕生日であった。智春からメールが来るまで忘れてた。64歳になりました。
11月15日 金曜日
今日は久しぶりに天気が良い。昨日でマッサージのトレーニングが終わったので、今日は静かだ。まだ、物資が不足している様で米の値段が倍になったらしい。パラナスに越していたら食べ物がなくなって居たかも。これも運の内。食べ物が手に入らない時はVSOが如何にかしてくれるのだろうか?ボランティアの生活は保障されているはず。
夜、発電機が動いて、テレビが見られた。言葉が分からないので映像から想像する。リリーフの物資を配っているところを映していたが、人が貰いに来ていない。そこまで来られない人が多いのだろう。

11月16日 土曜日
タクロバンの話を所長から聞いた。大臣が視察に来た為、オフィスの回りをかたずけたり、道に倒れている木をどかして、大臣の車が通れるようにしたり、大変だったらしい。大臣が自ら物資を配ったそうな。政治家のやりそうなことだ。役所の人達は銀行が動いていないので、給料が貰えないらしい。
此処の食事もおかずがなくなってきた。いわしの缶詰とご飯とか、インスタントラーメンとご飯とか。お米も手に入りにくいらしい。ガソリンが無いと言いながら、又、皆車でタクロバンに向かうと云う。又、当分戻ってこないのであろう。
今日もオフィスに座ってこれを書いている(実際はノートに日記をつけている)。昼間は此処が一番明るい。部屋で寝ているより良い。何か手伝う事はないかと聞いたが、ガソリンも食料も無いので、此処にいろとの事。所長があちこち奔走して、ガソリンを探しているようだ。カナダとか日本なら役所にガソリンの大きなタンクが有って、無くなる事はないが、こっちでそんな事をしたらすぐ盗まれるそうだ。車でガソリンスタンドに寄っても満タンにはしない。常に空っぽの状態で、近くのガソリンスタンドまで行ければいいのだ。何故なのか分からない。盗まれる事も考えているのだろうか?それともガソリンの予算が無いのか?ガソリンはリッター50ペソ、$1.20、カナダと同じ。生活水準から見ると目茶苦茶高い。車は金持ちしか乗れないわけだ。一度満タンにすると3000ペソ以上になる。一ヶ月の平均収入が一家族6500ペソだから、膨大な値段である。と言う事は金持ちはカナダと同じくらいかそれ以上の収入があるのだろう。タクロバンではガソリンがリッターあたり200~250ペソだそうな。国がコントロールするべきなのだが・・・。
夜、発電機でテレビが見れるので、近所の家族が30人ほど集まってテレビを見ている。昭和30年代はこんなだったような。昔を思い出す。
There is no power in the whole island of Samar since the typhoon. The park office ran the generator for a couple hours in an evening. Families around the park office came to the park’s residence to watch TV.
11月17日 日曜日
今日は朝食がまだでない。どうやら今日の朝食は無いようだ。オオマダラが飛んでいる。どう見てもレジ袋が風に舞っているように見える。今日は朝から雨が降ったり止んだり。まだ洗濯物が乾いてないのになぁ。
もう、食料を買いに行くのが大変なようだ。冷蔵庫が停電で使えないので、毎食分のおかずを買いに行かなければならないらしい。近くの町まで17キロ、ガソリンが無いので買出しに行けない。パラナスに越した方が良いのか?
こんなに長い間停電になる事を誰が想定しただろう。分かっていれば本でも持って来たのに。毎日本当にする事がない。裏山にハイクとかは出来るけど、このくそ暑いのに行く気は起きない。オフィスの周りを少し歩いただけなのに汗をかく。電気がないと扇風機が使えないので大変です。パラナスはもっと暑いと言うので越すのを考えてしまう。パラナスに行っても食料が手に入らなければどうしようもない。
若いもんが二人でオートバイのギアを取り替えている。昔、がんばってカローラを直したっけ。要するに4~50年前の日本やカナダでやっていた事を此処では今やっている。三丁目の夕日と云ったところか。いや、東京オリンピックの頃の方がずっと良かった気がする。考えてみると凄いところへ来たもんだ。マニラなんかだと少しはいいのかもしれないが、田舎はまだ遅れてる。
今3時半、日が傾いてきている。5時前に日が落ち、すぐ暗くなる。朝も5時ごろ日が昇るので、半日ずつと言う事である。する事がないのでくだらない事を書き綴っている。今までこんなに字を書いたことがあったろうか。いまだに島中停電。只銀行とかお店は発電機で動いているらしい。

あとがき
台風の後の10日分の日記を載せてみました。停電の為、実際にタクロバンで起きていたことはこの辺に住んでいる人は良く知らないのです。カナダからの電話で事情を知ったというか、おかしな話です。
Since the park is located in the mountain area 17km from the nearest town, and having a shortage of gasoline, and no power for the fridge, it was difficult to obtain food. The situation in Paranas seemed better than the park, and I decided to move to Paranas. We never think about it, but obtaining food is the first priority in this situation.

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